人口270万人弱のカリブ海に浮かぶ小さな島、ジャマイカ。
日本の秋田県とほぼ同じ面積しかない、この小さな島で'60年代、誕生したポピュラー音楽。

 

アメリカのリズム&ブルースなどの影響を受けてできたジャマイカ独特の音楽の、ska(スカ=ブルービートともいう)、rocksteady(ロックステディ)が発展して生まれた。

 

スカよりもルーズな感じで、ギターやキーボード、はたまた管楽器などによるウラ拍を強調した独特なリズム(裏打ち)が印象的だが、レゲエをより特徴づけているのは裏打ちではなく、むしろドラムとベースが作るリズムの形式である。
ジャマイカでは「レゲエのリズム」のことをジャマイカ英語で「リディム(Riddim)」といい、曲名ではなくリディム自体に名前がついていることも多い。

 

ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの成功などによって世界的に知られるようになり、ジャンルや国の垣根を越え、世界中の様々な音楽やアーティストへの影響を与えている。
現在では、アーリーレゲエ、ルーツロックレゲエ、ラバーズロック、ロックステディ、スカ、ダンスホールレゲエ、ブリティッシュレゲエ、ジャパニーズレゲエ(ジャパレゲ)、ソカ、レゲトン、ダブなどなど...ジャンルも多様化し続けており、総称してレゲエと用いられることが多い。
政治的、宗教的要素も強く、レベルミュージック(反抗の音楽)とも言われる。

レゲエという呼び名は誰が名付けたかハッキリしない。

 

1967年版のジャマイカ英語辞典によると「Reggae」は「ぼろ、ぼろ布,または口げんか、口論」という意味を表すスラングとして紹介されている。

このスラングが転じていつしか音楽のスタイルを表すようになったとされる説が有力である。

 

レゲエという言葉を最初に曲にしたのはトゥーツ&ザ・メイタルズのリードシンガーであるトゥーツ・ヒバートが作曲し、1967年に発表された『ドゥ・ザ・レゲエ(Do the reggay)』である。
一般大衆のための音楽という意味を持っているとトゥーツはいう。

 

その一方で「王の音楽を意味するスペイン語に由来する」という説や、「レゲーレゲーレゲーとビートを刻んだ事に由来する」という説など、レゲエの語源は多々ある。

 

「作られた言葉で、キングスミュージックのことを意味する。70年代のはじめ頃から、ジャマイカで使われはじめたが誰が最初に使ったのかはわからない」。
と来日時にボブ・マーリィーは語っている。

1950年代、独立以前からジャマイカの人々は、わずか数百キロ先のアメリカのラジオから流れるリズム&ブルースを聴きながら、そのリズムをコピーしつつ、カリブの島々(当然ジャマイカも含む)で当時人気があった音楽の「メント」や「カリプソ」などを融合させてオリジナリティーを追求していった。

 

その中で生み出された音楽が「ska(スカ)」である。

 

1962年にジャマイカがイギリスから独立し、後に、世界中に広がる、オリジナルジャマイカンミュージック="レゲエ"の基礎となったものである。

 

そして偶然にも1962年とは、イギリスで最も成功したロックバンド The Beatles (ビートルズ) がレコードデビューを果たした年でもある。

1950年代後半に誕生したレゲエの原点「ska(スカ)」
1962年のジャマイカ独立を祝うかのように、ジャマイカの人達や、イギリス、アメリカなどに出稼ぎに出たりしているジャマイカ人を中心に大流行したが、その流行は3~4年で鎮火していく。

 

その時期(1966年)辺りからジャマイカでは、緩やかなリズムや美しいボーカルのコーラスが特徴の「ロックステディ」が好まれるようになる。

アップテンポのスカからロックステディへと変化していった主な理由としては、当時アメリカで流行していた「モータウン」のコーラスグループの影響が強いといわれている。

ロックステディの時代は、コーラスグループの活躍の時代とも言えるだろう。

 

ロックステディは、ジャマイカ初のポップミュージックであり、歌詞の主な内容は恋愛やルードボーイについて歌われることが多かった。

 

スカとロックステディの明確な境目は諸説ありはっきりとはしないが、ジャマイカのキングオブソウルこと、アルトンエリスの「ロックステディ」という曲の中で歌ったロックステディという緩やかなダンスのスタイルが由来となっている。

 

この頃になると、ジャマイカの音楽ビジネス全体が発展を遂げている。
この時代に、多くの現役で活躍しているミュージシャンや偉大なレゲエの先人達を輩出している。

ジャマイカで一世を風靡したロックステディーは短命に終わり、音楽ビジネスの繁栄という恩恵を残して、1967年に発表されたトゥーツ&ザ・メイタルズの『ドゥ・ザ・レゲエ(Do the reggay)』によって、1968年頃には「レゲエ」という名でさらなる発展を遂げる。

 

ロックステディーの終わりと共に新しく生まれた1968年頃から70年代初頭までの頃のレゲエは、「アーリーレゲエ」と呼ばれ、それよりも少しアップテンポなビートに、リズムギターやキーボードの跳ねるようなリズムが絡んでくる踊れる曲が多かった。

 

1970年代に入るにつれ、覚えやすく印象的なベースラインと、ワンドロップと呼ばれる3拍目にバスドラムとスネアのリムショットが入るゆったりしたリズムへと変化していく。

やがてそれがルーツロックレゲエと呼ばれるスタイルへの確立と繋がる。

 

そして、サウンドシステムを中心に展開されてきたオリジナルジャマイカンミュージックのカルチャーは70年代に入り鎮火し、音楽機器の発展と共に、レコードを自分で買って、家のレコードプレーヤーで聞く時代へと突入して行った。

ロックステディーの終わりと共に新しく生まれた1968年頃から70年代初頭までの頃のレゲエは、「アーリーレゲエ」と呼ばれ、それよりも少しアップテンポなビートに、リズムギターやキーボードの跳ねるようなリズムが絡んでくる踊れる曲が多かった。

 

よく、ロックステディとルーツロックレゲエの狭間の音楽と捉われがちだが、世界の音楽史の発展に貢献した偉大な音楽である。

 

それを証明する例が、ジャマイカからイギリスへの移民により伝わり、イギリスの労働階級層の若者にも愛された「スキンヘッドレゲエ(またはスキンズ)」と呼ばれたものである。

このスキンヘッドレゲエには上記で挙げたようなアーリーレゲエの特徴が色濃く出ている。

 

それが後に、THE CLASH (ザ・クラッシュ)やThe Specials (スペシャルズ)やMadness(マッドネス)を始めとするイギリスのパンクバンドが、多くのスカやレゲエの曲をカヴァーし、2トーン(ツートーン)と呼ばれるジャンルへと発展していく。

ルーツロックレゲエ(roots rock reggae)=ルーツレゲエ、あるいは単にルーツとも呼ぶ

 

様々な音楽の影響を受けて混沌としていたレゲエが、1970年代に入り、ラスタファリアン(=ラスタマン)の思想を掲げる音楽としてルーツロックレゲエと呼ばれるスタイルを確立していく。

 

ルーツロックレゲエや、現在までのレゲエの歌詞にはしばしば自らをラスタの戦士やライオンになぞらえ、バビロン(Babylon=政府、警察、キリスト教会、堕落した西欧の支配階級など、ラスタファリアン達を虐げるシステムや、システムを構築している人達のこと)と戦いこれを打ち破る描写や、

「Jah(ジャー)」

「Jah Rastafari (ジャーラスタファーライ)」 

といった言葉が多く使われている。

ジャーというのは「神」のこと。

「神 (ジャー) 」の化身であるエチオピア帝国の最後の皇帝ハイレセラシエ1世を崇拝し、エチオピアをラスタファリアン達の聖地として、いつか彼の国へ帰ろうろうという黒人達の願い(アフリカ回帰主義)のもとに 、生まれ育った思想・宗教・哲学・ライフスタイルがラスタファリアニズムと言われ、神を讃える決め言葉が「ジャーラスタファーライ」である。

そのラスタファリアニズム主義者をラスタファリアンと呼ぶ。

バビロンへの抵抗、そしてラスタファリアニズムへの忠誠などジャマイカのラスタファリアン達の魂の叫びを歌にしたものが主となっている。

 

また、「Zion(ザイオン)」という言葉も共に多く使われているが、ザイオンというのはパトワ語で天国、約束の地、聖地といった意味(ヘブライ語にも同じ意味でZionという言葉がある)を持ち、ルーツロックレゲエではラスタファリアン達の帰るべき聖地であると定めたエチオピアを表している。

世界中にレゲエが広がった現在では、人それぞれの感性での聖なる土地や安らぎの地、自由の地など、エチオピアだけに限らずに使われることが多い。

 

ラスタファリアンについて歌っているルーツロックレゲエを世界に広めたのがレゲエ史上最も偉大な人物と言われている、ボブ・マーリーである。

 

その後、キングストンのゲットーを舞台にした映画「ハーダーゼイカム」やボブ・マーリーの世界的な大ヒットにより、レゲエは世界中に広まる。

 

同時に、このルーツロックレゲエの時代は、スタジオ録音技術の向上により画期的なリズムやアイディアが次々と生まれている。 

 

ルーツロックレゲエの全盛期(1970年代)の量産体制の中では、スタジオミュージシャンのアイデアと演奏法は革新的だった。

スライ&ロビー(レヴォリューショナリーズ)、ロッカーズ、アップセッターズ、ルーツラディクスらが、次々と新しいリディム(Riddim)を作っていった。

そして、

ジョニー・クラーク、バーニングスピア、ホレスアンディ、バーリントンレヴィ、リンカーントンプソンらの歌手

ジョー・ギブス、リー・ペリー、キング・タビー、バニー・リー、フー・キム兄弟、コクソン・ドッドらプロデューサー、エンジニア達

によって多くの楽曲が残された。

 

彼らの実験的な精神と、ジャマイカでの録音技術の進歩とが相まって、数多くのダブの作品が生まれた。

---------------------------
1945/2/6 ~ 1981/5/11
---------------------------

本名ロバート・ネスタ・マーリー。

ジャマイカが生んだ20世紀最大のアーティスト。

レゲエを国際的に広めた最大の功労者であり、彼が音楽界に及ぼした影響は未だ計り知れない。

ボブマーリーというとルーツロックレゲエのイメージが強いが、スカ、ロックステディ期にも様々な名曲を残している。

ボブマーリーの死後も、アイスリーズのジュディーモワット、リタマーリーは、それぞれソロアーティストとして活躍を続け、ボブマーリーとリタマーリーの息子であるジギーマーリー、スティーブマーリー、ダミアンマーリー、ステフポケッツなどもアーティストとしてワールドワイドに活躍している!

 

 

◆ボブマーリーの歴史

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇1945年~

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第二次世界大戦が終結した年である1945年の2月6日にイギリス系ジャマイカ人(白人)の父親(ノーヴァル・マーリー)とジャマイカ人(黒人)の母親(セデラ・ブッカー)との間に生まれる。

 幼少時に人種差別的迫害を受ける。

1955年に父が他界、ボブマーリーは母親と共にキングストンのスラム街、トレンチタウンのに移り住む。

人種差別などから生き延びるため自己防衛を強いられ、肉体的に強くなった彼は、タフゴング(Tuff Gong)という異名を得た。

歌手として生活費を稼ぐ為、ボブマーリーはタレントショーに出演。

その頃バーニーウェイラー(ネヴィルバニーリビングストン)と知り合う。

2人は、ジョーヒッグスの指導のもと、コーラスの練習を開始。

同じく学生時代に知り合ったピータートッシュ(ウィンストンハバートマッキントッシュ)が加わり、コーラス・トリオとして活動を開始。

1962年にシングルデビューを果たすものの、まったく売れず。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

◇1963年~

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

1963年にスカ、ロックステディーのバンド「ザ・ウェイリングウェイラーズ(The Wailing Wailers)」を結成(メンバーの加入や入れ替わりなどもあり、「ザ・ティーンネイジャーズ(The Teenagers)」→「ザ・ウェイリングルードボーイズ(The Wailing Rudeboys)」→「ザ・ウェイリングウェイラーズ(The Wailing Wailers)」となった)

1964年、「スタジオ・ワン」のコクソン・ドッドに認められ、スカタライツをバックに録音した「シマーダウン(Simmer Down)」が大ヒットを記録し、一躍スターとなる。

その後数人のメンバーを加え「ザ・ソウレッツ(The Soulettes)」を結成するが、最終的に三人だけ残り「ザ・ウェイラーズ(The Wailers)」となった。

 

シングル:ドゥーユーフィールザセイムウェイ シマーダウン...などなど

アルバム:シマーダウン
┗Simmer Down、Go Jimmy Go、Hooligan、One Love、Love And Affection...などなど

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

◇1966年~

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

1966年、ボブマーリーは髪をドレッドにし、ラスタファリ運動のメンバーとなる。

同、1966年、リタアンダーソン(リタマーリー)と結婚。

 

アルバム:ザ・ウェイリングウェイラーズ
┗Rude Boy、Rocking Steady...などなど

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

◇1969年~

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

1969年、ジャマイカの大物プロデューサー、リーペリーがウェイラーズのプロデュースをするようになる。

バックにドラムのカールトンバレット(Carlton Barrett)とベース・ギターのアストンバレット (Aston Barett)のバレット兄弟を中心とするお抱えのバンド、ジ・アップセッターズ(The Upsetters)を抜擢し、彼らに強力なリズム隊加わる。

1971年、キーボード奏者のタイロンダウニー(Tyrone Downie)が加わり、オリジナルのウェイラーズが完成!

イギリスに渡り、ジョニーナッシュ(Johnny Nash)のバックとしてロンドンで録音に参加。

アイランドレーベル社長である、ジャマイカ出身のクリスブラックウェルと知り合い、契約を交わす。

 

(1970)アルバム:ザ・ベストオブウェイラーズ
┗Soul Shakedown Party...などなど

(1970)アルバム:ソウルレベルス
┗Soul Rebel...などなど

(1971)アルバム:ソウルレボリューション

(1971)アルバム:ソウルレボリューションパート2
┗Kaya...などなど 

(1972)アルバム:アフリカンハーブマン
┗Trench Town Rock、Kaya...などなど

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

◇1973年~

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

世界デビューアルバム「キャッチアファイヤー(Catch A Fire)」を発表。

イギリスツアーを開始し、イギリス在住のジャマイカ系黒人層を中心に白人層にまで人気が広がり始める。

そして、初となるアメリカツアーを開始し、スライ&ザ・ファミリーストーンなどの前座を務める。

 

アルバム:キャッチアファイヤー
┗Concreat Jungle、Kinky Reggae...などなど

アルバム:バーニン
┗Get Up, Stand Up、I Shot The Sheriff...などなど

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

◇1974年~

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

エリッククラプトンが『アイショットザシェリフ』をカバーし、それが全米1位となる。

厳しいスケジュールのツアーが続くうちに、バニーウェイラー、ピータートッシュがウェイラーズから脱退。

ジャマイカで行われたマーヴィンゲイのコンサートの前座が3人での最後のライブとなった。 

 

アルバム:ラスタレボリューション
┗Soul Rebel...などなど

アルバム:ナッティドレッド
┗No Woman No Cry、Natty Dread...などなど

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

◇1975年~

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

リタマーリー、ジュディーモワット、マーシャグリフィスからなるアイスリーズがコーラス隊として参加し、ボブマーリー&ザ・ウェイラーズとして活動を開始。

ノーウーマンノークライ(No Woman No Cry)」が国際的ヒットを記録、国際的快挙を成し遂げ、世界初の国際的レゲエスターとなった 

 

ライブアルバム:ライブ
┗ロンドンでのライブ録音アルバム

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

◇1976年~

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

12月3日、ボブマーリーは自宅で5人組の狙撃者たちに頭と左肩を撃たれる。マネージャーのドン・テイラーも両足を撃たれる。

その2日後、ジャマイカを二分する野党(JLP)の支援のフリーコンサートに出演することになっており、与党(PNP)の新派が企てた暗殺計画だったと言われている。

ボブマーリーは怪我をおして立ったが、あまりにも愚かで危険な国ジャマイカに嫌気がさし、バハマ、イギリス、アメリカへと移り住む亡命生活に入る。 

 

アルバム:ラスタマンバイブレーション
┗Rat Race...などなど

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

◇1977年~

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ロンドンに移り住んだボブマーリーは音楽活動に専念し、アルバム「エクソダス(Exodus)」を発表。

しかし、ボブマーリーはヨーロッパ・ツアー中に足を怪我し、それが悪化。

アメリカツアーをキャンセルし、マイアミで手術を受けることになるが、この腫瘍が後に身体中に転移し、彼の早すぎる死の原因となる。 

 

アルバム:エクソダス
┗Natural Mystic、Exodus、Jammin'、Three Little Birds、One Love...などなど

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

◇1978年~

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ボブマーリーはまるで自分の死を予見していたかのような安らかさに満ちたアルバム「カヤ(Kaya)」を発表。

ワンラブピースコンサート」開催の為、久しぶりに故郷のジャマイカに戻る。 

 

アルバム:カヤ
┗Kaya、Is This Love...などなど

ライブアルバム:バヴィロンバイバス
┗パリのパヴィリオンでのライブ録音

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

◇1979年~

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ボブマーリーは最初で最後の来日コンサートを中野サンプラザで行う。

その後、ボストンで行われた南アフリカ、ジンバブエ、ナミビアのためのコンサートに出演。

アフリカの統一を呼びかけたアルバム「サバイバル(Survival)」を発表。これがアフリカでも大ヒットし、ジンバブエの独立式典にでの記念ライブへと繋がる。 

 

アルバム:サバイバル
┗Babylon System、Africa Unite...などなど

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

◇1980年~

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ボブマーリーはラストオリジナルアルバムとなる「アップライジング(Uprising)」を発表。

かつてアフリカからアメリカへと荷物のように運ばれ悲劇の人生を歩むことになった奴隷たちに捧げられた名曲「リデンプションソング(Redemption Song)」が収録。

 

この年の9月、アメリカツアーの途中で急激に容体が悪化し、ドイツの診療所に入院。しかし、そこでの治療も効果はなく、ボブマーリーは再び母親の待つアメリカのマイアミに戻る。 

 

アルバム:アップライジング
┗Zion Train、Could You Be Loved、Redemption Song...などなど

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

◇1981年~

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

5月11日午前11時45分、脳腫瘍の為、36歳という若さで永眠。

同月21日、キングストンのナショナルアリーナで国葬にふされる。 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇1983年

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

アルバム:コンフロンテイション
┗Buffalo Soldier、Trench Town...などなど

Presented by 彩音~zion~

Google Sitemaps用XML自動生成ツール