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1945/2/6 ~ 1981/5/11
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本名ロバート・ネスタ・マーリー。
ジャマイカが生んだ20世紀最大のアーティスト。
レゲエを国際的に広めた最大の功労者であり、彼が音楽界に及ぼした影響は未だ計り知れない。
ボブマーリーというとルーツロックレゲエのイメージが強いが、スカ、ロックステディ期にも様々な名曲を残している。
ボブマーリーの死後も、アイスリーズのジュディーモワット、リタマーリーは、それぞれソロアーティストとして活躍を続け、ボブマーリーとリタマーリーの息子であるジギーマーリー、スティーブマーリー、ダミアンマーリー、ステフポケッツなどもアーティストとしてワールドワイドに活躍している!
◆ボブマーリーの歴史
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◇1945年~
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第二次世界大戦が終結した年である1945年の2月6日にイギリス系ジャマイカ人(白人)の父親(ノーヴァル・マーリー)とジャマイカ人(黒人)の母親(セデラ・ブッカー)との間に生まれる。
幼少時に人種差別的迫害を受ける。
1955年に父が他界、ボブマーリーは母親と共にキングストンのスラム街、トレンチタウンのに移り住む。
人種差別などから生き延びるため自己防衛を強いられ、肉体的に強くなった彼は、タフゴング(Tuff Gong)という異名を得た。
歌手として生活費を稼ぐ為、ボブマーリーはタレントショーに出演。
その頃バーニーウェイラー(ネヴィルバニーリビングストン)と知り合う。
2人は、ジョーヒッグスの指導のもと、コーラスの練習を開始。
同じく学生時代に知り合ったピータートッシュ(ウィンストンハバートマッキントッシュ)が加わり、コーラス・トリオとして活動を開始。
1962年にシングルデビューを果たすものの、まったく売れず。
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◇1963年~
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1963年にスカ、ロックステディーのバンド「ザ・ウェイリングウェイラーズ(The Wailing Wailers)」を結成(メンバーの加入や入れ替わりなどもあり、「ザ・ティーンネイジャーズ(The Teenagers)」→「ザ・ウェイリングルードボーイズ(The Wailing Rudeboys)」→「ザ・ウェイリングウェイラーズ(The Wailing Wailers)」となった)
1964年、「スタジオ・ワン」のコクソン・ドッドに認められ、スカタライツをバックに録音した「シマーダウン(Simmer Down)」が大ヒットを記録し、一躍スターとなる。
その後数人のメンバーを加え「ザ・ソウレッツ(The Soulettes)」を結成するが、最終的に三人だけ残り「ザ・ウェイラーズ(The Wailers)」となった。
シングル:ドゥーユーフィールザセイムウェイ 、シマーダウン...などなど
アルバム:シマーダウン
┗Simmer Down、Go Jimmy Go、Hooligan、One Love、Love And Affection...などなど
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◇1966年~
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1966年、ボブマーリーは髪をドレッドにし、ラスタファリ運動のメンバーとなる。
同、1966年、リタアンダーソン(リタマーリー)と結婚。
アルバム:ザ・ウェイリングウェイラーズ
┗Rude Boy、Rocking Steady...などなど
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◇1969年~
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1969年、ジャマイカの大物プロデューサー、リーペリーがウェイラーズのプロデュースをするようになる。
バックにドラムのカールトンバレット(Carlton Barrett)とベース・ギターのアストンバレット (Aston Barett)のバレット兄弟を中心とするお抱えのバンド、ジ・アップセッターズ(The Upsetters)を抜擢し、彼らに強力なリズム隊加わる。
1971年、キーボード奏者のタイロンダウニー(Tyrone Downie)が加わり、オリジナルのウェイラーズが完成!
イギリスに渡り、ジョニーナッシュ(Johnny Nash)のバックとしてロンドンで録音に参加。
アイランドレーベル社長である、ジャマイカ出身のクリスブラックウェルと知り合い、契約を交わす。
(1970)アルバム:ザ・ベストオブウェイラーズ
┗Soul Shakedown Party...などなど
(1970)アルバム:ソウルレベルス
┗Soul Rebel...などなど
(1971)アルバム:ソウルレボリューション
(1971)アルバム:ソウルレボリューションパート2
┗Kaya...などなど
(1972)アルバム:アフリカンハーブマン
┗Trench Town Rock、Kaya...などなど
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◇1973年~
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世界デビューアルバム「キャッチアファイヤー(Catch A Fire)」を発表。
イギリスツアーを開始し、イギリス在住のジャマイカ系黒人層を中心に白人層にまで人気が広がり始める。
そして、初となるアメリカツアーを開始し、スライ&ザ・ファミリーストーンなどの前座を務める。
アルバム:キャッチアファイヤー
┗Concreat Jungle、Kinky Reggae...などなど
アルバム:バーニン
┗Get Up, Stand Up、I Shot The Sheriff...などなど
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◇1974年~
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エリッククラプトンが『アイショットザシェリフ』をカバーし、それが全米1位となる。
厳しいスケジュールのツアーが続くうちに、バニーウェイラー、ピータートッシュがウェイラーズから脱退。
ジャマイカで行われたマーヴィンゲイのコンサートの前座が3人での最後のライブとなった。
アルバム:ラスタレボリューション
┗Soul Rebel...などなど
アルバム:ナッティドレッド
┗No Woman No Cry、Natty Dread...などなど
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◇1975年~
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リタマーリー、ジュディーモワット、マーシャグリフィスからなるアイスリーズがコーラス隊として参加し、ボブマーリー&ザ・ウェイラーズとして活動を開始。
「ノーウーマンノークライ(No Woman No Cry)」が国際的ヒットを記録、国際的快挙を成し遂げ、世界初の国際的レゲエスターとなった
ライブアルバム:ライブ
┗ロンドンでのライブ録音アルバム
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◇1976年~
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12月3日、ボブマーリーは自宅で5人組の狙撃者たちに頭と左肩を撃たれる。マネージャーのドン・テイラーも両足を撃たれる。
その2日後、ジャマイカを二分する野党(JLP)の支援のフリーコンサートに出演することになっており、与党(PNP)の新派が企てた暗殺計画だったと言われている。
ボブマーリーは怪我をおして立ったが、あまりにも愚かで危険な国ジャマイカに嫌気がさし、バハマ、イギリス、アメリカへと移り住む亡命生活に入る。
アルバム:ラスタマンバイブレーション
┗Rat Race...などなど
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◇1977年~
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ロンドンに移り住んだボブマーリーは音楽活動に専念し、アルバム「エクソダス(Exodus)」を発表。
しかし、ボブマーリーはヨーロッパ・ツアー中に足を怪我し、それが悪化。
アメリカツアーをキャンセルし、マイアミで手術を受けることになるが、この腫瘍が後に身体中に転移し、彼の早すぎる死の原因となる。
アルバム:エクソダス
┗Natural Mystic、Exodus、Jammin'、Three Little Birds、One Love...などなど
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◇1978年~
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ボブマーリーはまるで自分の死を予見していたかのような安らかさに満ちたアルバム「カヤ(Kaya)」を発表。
「ワンラブピースコンサート」開催の為、久しぶりに故郷のジャマイカに戻る。
アルバム:カヤ
┗Kaya、Is This Love...などなど
ライブアルバム:バヴィロンバイバス
┗パリのパヴィリオンでのライブ録音
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◇1979年~
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ボブマーリーは最初で最後の来日コンサートを中野サンプラザで行う。
その後、ボストンで行われた南アフリカ、ジンバブエ、ナミビアのためのコンサートに出演。
アフリカの統一を呼びかけたアルバム「サバイバル(Survival)」を発表。これがアフリカでも大ヒットし、ジンバブエの独立式典にでの記念ライブへと繋がる。
アルバム:サバイバル
┗Babylon System、Africa Unite...などなど
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◇1980年~
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ボブマーリーはラストオリジナルアルバムとなる「アップライジング(Uprising)」を発表。
かつてアフリカからアメリカへと荷物のように運ばれ悲劇の人生を歩むことになった奴隷たちに捧げられた名曲「リデンプションソング(Redemption Song)」が収録。
この年の9月、アメリカツアーの途中で急激に容体が悪化し、ドイツの診療所に入院。しかし、そこでの治療も効果はなく、ボブマーリーは再び母親の待つアメリカのマイアミに戻る。
アルバム:アップライジング
┗Zion Train、Could You Be Loved、Redemption Song...などなど
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◇1981年~
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5月11日午前11時45分、脳腫瘍の為、36歳という若さで永眠。
同月21日、キングストンのナショナルアリーナで国葬にふされる。
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◇1983年
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アルバム:コンフロンテイション
┗Buffalo Soldier、Trench Town...などなど